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「書かないことの重大さ」(滝鼻 卓雄著『記者と権力』から) [マスメディア]


記者と権力

記者と権力

  • 作者: 滝鼻 卓雄
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: 単行本



著者は、司法記者として自分のかかわった著名な人物たちをたいへん魅力的に紹介している。そのこと自体が目的ではないが『覚書5 書くこと書かないこと』に登場する「マスコミから厳しく叩かれるような被告人たちの弁護団に加わっていたことで、その名を知られている」喜多村洋一もその一人だ。

喜多村の登場する部分を以下に引用してみる。

*************

喜多村が担当した事件を冷静に観察してみると、マスコミの網にさえ引っかからなかった検察側の“弱点”を見事に見つけ出して、検察側主張の崩壊につなげている。そんな辣腕ぶりが喜多村の魅力だ。

喜多村は、法廷での証人尋問でのテクニックに長けていた。検察側の尋問ミスを巧みに突き、そこから検察官の主張のほころびを広げていく。その法廷技術は並大抵ではない。世間で「悪党」と言われる人物は多々いるが、マスコミ報道によって「悪党」という極彩色で塗り固められた人物を弁護する仕事は、そんな簡単なことではない。事件を依頼されても初めから断ってしまう、腰の引けた弁護士が多い。

でも喜多村は逃げない。

(中略)

喜多村に聞きたかったことは、次の質問だった。

「私も含めて近年のジャーナリストは、プライバシーなどの基本的人権の尊重や個人情報の保護といった“建前”だけにこだわりすぎて、“建前”を理由にして、真実への接近を怠っているのではないか。あるいは“建前”を口実にして、書かなければならないことを書いていないのではないか」

自由人権協会の代表理事を務めている喜多村のことだ。私の問いに反論してくるのでは、と予感していた。

だが喜多村はこう答えた。

「報道の自由とは、情報を受ける市民の知る権利を実質的に保障するものです。ですから報道の自由も人権の一つであり、市民のために十分行使されるべきです。(書くべきことを書かないことは)社会全体で共有すべき情報、公共財としての情報が流通しないことになるのです。ジャーナリストの自己規制が強すぎるのではないかと思います」

(このあと、人権意識の高まりとともに、被告人の名が呼び捨てから「容疑者○○」となったこと、容疑者の過去について報道することが「基本的人権」を損なうという考え方が拡がったことについてふれられ・・)

容疑者の過去とは、出身地や家庭環境、特に教育環境、そして両親・兄弟の事情、本人の犯罪歴、病歴などである。

「犯罪は社会の病理現象である」としばしば言われる。病変の原因を突き止めるために病理解剖が実施されるように、犯罪という病変の源泉を知らなければ、犯罪が起きた背景は解明されない。背景をきちんと書き込まないと、報道の意味はなくなってしまう。

そんな思いがあって、喜多村にさらに質問した。

「(最近川崎で起きた少年事件に関連して)18歳の少年が逮捕されたが、この少年の家族のこと、育った環境、交友関係などを書いてはダメなのか。実名を出したらどうなのか。もちろん少年法の規定は知っているが」

喜多村は、少年の実名を書くことの是非には触れなかったが、「(新聞が)“書かないことの重大さ”を分かっていないのではないか」と言った。

(次いで著者は2015年2月の川崎の事件に言及し、当時マスコミが知りたいことを知るべきことを十分に報道していなかったことについて述べる)

前にも言ったが、犯罪はその時代の病理現象だ。病んだ社会の深部に潜んでいる病理をえぐるのが、犯罪報道であり、社会部に籍を置くジャーナリストたちの使命と言っても大げさではない。ジャーナリストが取材する「事実」とは、警察や検察の捜査機関が提供する事実(有罪を立証するのに必要な事実といってもいい)、さらには裁判所の判決に盛り込まれている犯罪事実(有罪、無罪を決めるために必要な最小限の事実といってもいい)ではない。逮捕状や判決文にある「事実」を探るのは、ジャーナリストの仕事ではない。

川崎で惨殺された少年の周辺にいた、子供たち、大人たちの証言を丹念に拾い集め、さらに犠牲になった13歳の少年と、首謀者と言われている18歳の少年との関係を綿密に調べることで、この事件の最深部に潜んでいる病理が見えてくるはずだ。

ここで大切なのは、取材したすべてのネタをニュースにしてはいけないということだ。取材と報道の間には、基本的人権のフィルターがあるべきであり、その判断を最適化するのがジャーナリストの力量というものだ。基本的人権に関する判断は、取材行為と報道行為の間にあるべき判断であって、取材以前の段階で行うことではない。


犯罪報道は間違った方向へ進んでしまった、と私は考えている。我々はマニュアルばかりをつくり、その結果、取材・報道に新しいニュース価値を見つけようとした者の“芽”を摘んでしまったのかもしれない。

犯行現場に花を手向ける人たちの姿が、毎日映像化されているが、そのような報道は、事件にステレオタイプな感情を植え付けるだけだ。急激に盛り上がった感情は醒めるのも早く、結果として、事件を風化させることになる。最近起きた障害者施設を襲った凄惨な事件でも、同じような映像が連日のように流されている。

再度同じことを言う。読者が真に知りたいことを書く。読者が知りたくないと感じることもあるかもしれないが、それでも知らせなければならないことは書く。

優れたジャーナリストたちは、事件の最深部まで行き着くように努めてきた、と思う。しかし、私に限っていえば、プライバシー、個人情報の保護、基本的人権の尊重という、「建前」にとらわれ過ぎて、真実への接近を困難にする “壁”を作る流れに加担してしまったという反省がある。

喜多村の言う「書かないことの重大さ」をもう一度よく考えてみたい。



騙されてたまるか 調査報道の裏側 (新潮新書)

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  • 作者: 清水 潔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/07/17
  • メディア: 新書



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