So-net無料ブログ作成

山崎雅弘著『天皇機関説事件』 から [日本史]


「天皇機関説」事件 (集英社新書)

「天皇機関説」事件 (集英社新書)

  • 作者: 山崎 雅弘
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 新書



超国家主義者:蓑田胸喜に、トイレで会う
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10

**以下、「はじめに」から一部引用****

★「立憲主義」が失われた日本で何が起こったか

天皇機関説は、天皇という古い制度を近代国家の枠組みに整合させる「仕掛け」であったのと同時に、天皇の特権的地位を根拠とする政治権力が、コントロールを失って暴走するのを防止するための「安全索(ワイヤー)」のような存在でありました。

しかし、天皇を(形式的に)崇拝する一部の人間が「神聖不可侵で唯一無二の崇高な存在であらせられる天皇陛下に『暴走防止のワイヤー』をかけるなど、畏れ多いことで、そんなことを主張する人間は、天皇を馬鹿にして見下しているに違いない」と、制度の仕組みの全体像ではなく一部分の関係性だけを見て言いがかりをつけ始めた時、天皇崇拝の立場を保ちながら、合理的な「仕掛け」としての天皇機関説を説明することは困難でした。

その結果、「天皇」あるいは「権力」と「近代国家」をかろうじて結び付けていた、天皇機関説という「ワイヤー」が、バチンと大きな音を立てて切断され、「権力の暴走」を止める安全装置が失われました。

天皇機関説事件のあと、昭和天皇が、権力を握る「支配者」として暴走することはありませんでした。しかし、この事件と国体明徴運動が起きた1935年以降、当時の国家指導部で大きな発言力を持っていた「軍部」が、天皇の名において、あるいは天皇の名を借りて、事実上の「最高権力者の代行人」として、国の舵取りという「権力」をわが物顔で振り回し始めた時、もはや誰もそれを止めることはできませんでした。

天皇や神などの「絶対的な権威」をいわゆる「錦の御旗」として掲げ、合理的な異論や反対を権威の力で押しつぶし、その旗を掲げる特定の集団が過剰な権力を持つようなことを、制度として予防する。これも、憲法と「立憲主義」の重要な役割ですが、天皇機関説事件は、「神の子孫であらせられる天皇陛下」という存在が、特定の集団(軍部)が過剰な権力を持つことに道を開くことになった、きわめて重要な出来事だったのです。

言い換えれば、先の戦争における日本の内外での悲劇は、日本国内の政治制度において「立憲主義」という安全装置が壊れたことによる、史上空前の規模で発生した「大惨事」であったと見ることも可能です。

太平洋戦争での破滅的な敗北(1945年8月)にいたるまでの昭和史は、一般に「軍部の暴走」というシンプルな言葉で表現されることが多く、当時の「大日本帝国憲法」に根本的な欠陥があったから、あのような「軍部の暴走」を許したのだ、というイメージで見る人も少なくないようです。

大日本帝国憲法は軍部の暴走を許す内容だったから、あんな事態が起きたのだ、と。

しかし、実際には明治や大正、そして昭和初期の日本人の中にも、史実のような「最終的に自国を破滅へと向かわせる暴走」が起きうることを想定し、あらかじめ制度面で何らかの対策を講じておく必要があると考える人は少なからずいました。

本書でこれから光を当てる美濃部達吉も、そんな思慮深い日本人の一人でした。

彼は決して、天皇を馬鹿にして見下すような人物ではありませんでしたが、いくつかの理由で美濃部を敵視する人間たちは、彼の憲法に関する著作や過去の発言から、断片的な言葉(片言隻句)を切り取って抜き出し、前後の文脈とは関係ないかたちで「これは天皇を馬鹿にする言い草ではないか」と威圧・恫喝し、天皇という「絶対的な権威」を自分の側に置くことで反論を封じながら、相手を追い詰めるというやり方をとりました。

それでは、具体的にどのような段階を踏んで、美濃部は議会で糾弾され、当時の憲法学説で主流とされたはずの天皇機関説が、その価値を全否定されていったのか。

まずは、今から82年前の1935年2月に時計の針を戻し、その頃は「参議院」ではなく「貴族院」であった帝国議会(当時の国会)の本会場での激しいやりとりの様子を、時空を超えた傍聴席から見ていくことにします。
****ここまで「はじめに」から****

**ここから「あとがき」部分抜粋引用**

本書の主題は天皇機関説事件であり、事件が収束した後で拡大した国体明徴運動については、紙幅の関係上、ごく簡単にしか触れられませんでした。1930年代後半の国体明徴運動と、それが第二次大戦期の日本社会と日本軍の戦争遂行にどのような影響を及ぼしたかについては、拙著『戦前回帰』(学研プラス)で

戦前回帰

戦前回帰

  • 作者: 山崎 雅弘
  • 出版社/メーカー: 学研マーケティング
  • 発売日: 2015/09/01
  • メディア: 単行本



より詳しく紹介しましたので、本書と合わせてお読みいただければ幸いです。

また、現代の日本における国体思想の復活と、立憲主義を揺るがす政治的な問題については、拙著『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で具体例を挙げて説明していますので、こちらもご参照いただければと思います。


日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)

日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)

  • 作者: 山崎 雅弘
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2016/07/15
  • メディア: 新書



「天皇機関説」事件 (集英社新書)【目次】
第一章 政治的攻撃の標的となった美濃部達吉
1 貴族院の菊池武夫が口火を切った美濃部攻撃
2 美濃部攻撃の陰の仕掛け人・蓑田胸喜
3 美濃部達吉が述べた「一身上の弁明」
4 当代随一の憲法学者・美濃部達吉
5 国会の内外でエスカレートする「美濃部叩き」

第二章 「天皇機関説」とは何か
1 天皇機関説と天皇主権説(天皇神権説)
2 上杉慎吉と美濃部達吉の「機関説」論争
3 文部省も加わった天皇機関説の排撃運動
4 美濃部擁護の論陣を張った「帝国大学新聞」
5 昭和天皇も認めていた天皇機関説の解釈

第三章 美濃部を憎んだ軍人と右派の政治活動家
1 「陸軍パンフレット」に対する美濃部の批判
2 軍人勢力各派は「機関説問題」にどう反応したか
3 右翼団体による「機関説排撃運動」のエスカレート
4 騒動を岡田内閣打倒に利用しようとした立憲政友会
5 美濃部が『憲法撮要』に記した「統帥権」の意義

第四章 「国体明徴運動」と日本礼賛思想の隆盛
1 次第に追い詰められた岡田啓介首相
2 急激に力を持ち始めた「国体」というマジックワード
3 岡田首相の第一次国体明徴声明の発表
4 さらに激しさを増した美濃部と機関説への糾弾
5 消えかけた火を大きくした美濃部の「第二の弁明」

第五章 「天皇機関説」の排撃で失われたもの
1 窮地に立った岡田内閣と第二次国体明徴声明
2 天皇機関説事件から二・二六事件へと通じた道
3 美濃部の学説と共に排斥された、自由主義と個人主義
4 際限なく称揚される「天皇」「国体」という錦の御旗
5 実質的に機能を停止した日本の「立憲主義」

トラックバック(0) 

トラックバック 0