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『放浪・廻遊民と日本の近代』 長野 浩典著  弦書房 [民俗学]


放浪・廻遊民と日本の近代

放浪・廻遊民と日本の近代




(まだ読了しておりませんが・・)

執筆の底流に流れるのは《民衆の側から「近代を問う」ということ》と著者はいう。これまで弦書房から数冊著者を刊行している。弦書房は、九州福岡の出版社である。

弦書房から出ている著作を過去に一度読んだ。靖国神社の創建にまつわる歴史に関するものだ。緻密な調査にもとづく充実したもので、世間一般の思い込みを覆すだけの内容に思う。しかし、どれほどそのことが認知されているだろうと思う。なにしろ、明治維新時の「錦の御旗」が長州藩の創作(つまり端的にいえば、偽造)であるという話も含まれていた。

本書の著者は現在、大分で高校教諭をしておられるという。一地方出版社の、地方に住まいする一教諭の著作ではあるが、本書も、たいへん読み応えのある内容に思う。


靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

  • 作者: 堀 雅昭
  • 出版社/メーカー: 弦書房
  • 発売日: 2014/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所

日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所

  • 作者: 筒井 功
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/10/24
  • メディア: 単行本



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日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所 / 筒井 功著 河出書房新社 [民俗学]


日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所

日本の「アジール」を訪ねて: 漂泊民の居場所




戸籍に名前が記載され、特定の住所に住まい、国家の成員と認められ、(法令に従い、税金を納める代わりに)国家の保護を受ける人々とは異なる「漂泊民」が、かつて日本の各地に居たという。本書は、その跡をたずね取材した報告・研究である。

著者は、本書中で柳田國男、宮本常一、三角寛の批判をおこなう。各地を歩き、「漂泊民」の見聞を集めるなかで、それは出てきた批判だ。「サンカ」研究で著名な三角寛の博士論文『サンカ社会の研究』にいたっては「虚構と作為に満ちた、およそ研究などとは無縁の代物であった。そこには事実とみなしうることは、ほとんど含まれていない(p115)」とまでいう。そもそもが、隠れるように生活し跡を残さないように生きてきた「漂泊民」の“真実”を描こうとするのは、たいへん難しいものであることは想像できる。とはいえ、意図的に“真実”を作為するのは当然とがめられてしかるべきことにちがいない。本書に関していえば、たんなる私見、推測の領域にあることは、それなりのものとして記述が進められていく。そうした著者の姿勢は評価できるし、また、本書に示される柳田・宮本・三角批判は、道理にかなっているように思われる。

たとえば、宮本常一の『山に生きる人びと』にある「かったい道」を「山村伝説」と著者はいう。その根拠を示したうえで、宮本が出会ったレプラ患者について次のように記述する。《彼女が旅慣れていたことは疑いない。というより、久しいあいだ漂浪者の暮らしをつづけていたのではないか。症状の進み具合から考えて、ずっと前に家を出てあちこち放浪していた可能性が高い。だからこそ、100キロを超す道のりを宿にも泊まらず歩けたのであろう。だが、それにしても、なぜ「伊予のなにがし」へ行こうと決意したのだろうか。むろん、はっきりしたことなど、わかるはずがない。しかし、ある程度の想像はつく。女性は、例えば栃木県矢板市郊外の仏沢のような非定住民のセブリを目指していたのだと思う。/ 「伊予のどこそこには、あんたのような病気の者でも気がねなく暮らせるところがある」 / 物乞いをしながら各地を転々としているとき、そう教えてくれた仲間があったのではないか。非定住民たちは、その種の情報に通じており、またお互い情報を交換し合っていた。仏沢の「若さん」一家や、「江州」と妻テルも、そうやって高原山の麓の雑木林へ身を寄せていたはずである(p94)》。

北海道」の命名者として知られる探検家:松浦武四郎『飛騨紀行』中の経験も興味深い。岐阜で病を得たおり、「乞食、山家」の世話になったという。その後《辻堂で会った「山家」が三日目によそへ移るに際し、これからの旅先で自分のようなサンカに出会ったら「郡上の爺」と三日ばかり同宿したことがあると言え、と教えられたと述べている。実際、・・・サンカを見かけるたびにそうしたところ親切にしてもらい、「今筆を取るも涙こぼるる斗なり」と書き残している(p186)》。

評者自身、「サンカ」について知ったのは、小学生のころ読んだ 椋鳩十の著作においてである。なにか不思議な魅力を発するものに出会った覚えがある。その魅力がなにかよくわからぬままきたが、どうも国家の統制から自由であるところにその魅力はあるようである。しかも、そこには「仲間」としてのつながりがあり、ゆるいコミュニティーを成していたようでもある。

思うに、かつてあった「漂泊民の居場所」は、現代社会の「アジール」にも見える。



椋鳩十の本 第2巻 鷲の唄―山窩物語

椋鳩十の本 第2巻 鷲の唄―山窩物語

  • 作者: 椋 鳩十
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 1982/06
  • メディア: 単行本



椋鳩十まるごと動物ものがたり 全12巻

椋鳩十まるごと動物ものがたり 全12巻

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 1996
  • メディア: 単行本



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『マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り』工藤 隆雄著 山と渓谷社 [民俗学]


マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り

マタギ奇談 狩人たちの奇妙な語り




奇談=怪奇談と思ったが、「奇」=フツウでない と解せばいいようだ。本書をとおし、マタギの生活、山の民俗を知ることができる。それは都会人とは、ちがう。ある意味、フツウではない。「奇」である。狩猟に関し、「罠は卑怯」という言葉もある。獲物がとれれば、それでいいというわけにはいかない。山の神様の意向もある。オキテがあり、オキテに従わなければ、仲間からハズサレル。環境に関する考えも都会人とはちがう。白神山地の世界遺産指定は、マタギにとっては、愚かなことだった。そもそも、彼らの生活を奪った。本書をとおし、少なくともマタギの立場からいって、全くのマチガイだと感じた。行政にたずさわる都会人のアタマ・デッカチの判断と、白神の山々の樹木、動物を知り尽くした人々との考えはチガッテ当然だが・・・、そのことを本書をとおし、アタマではなくカラダで実感した。本書最終章にあたる「老マタギと犬」は、著者自身の本書執筆にからむ老マタギとの出会い、その相棒の犬についての記述だが、くりかえしくりかえし読みたくなる文章だ。ほのぼのと哀切で失われたものの大きさを抱きしめたくなるような話だ。

「マタギというのは、ただ獲物を獲るだけではなく、山の隅々までを知ってたいせつにする人のことをいうのです。もし、好き勝手に獲物だけを獲っていたら、今頃、白神には生きものがいなくなっていたと思います。だからマタギは、ただのハンターと違い、白神の番人だと思っていますよ」

「ええ、その犬も父が死んですぐに死にました。犬もがっかりしたんでしょうね。餌を出しても食べませんでした。そして、父の葬式の最中にあとを追うようにして死にました。仲がよかったから、父の墓の横に埋めてやりました。今頃、彼岸で以前のように山のなかを歩いているんじゃないでしょうか」


マタギに学ぶ登山技術 [ヤマケイ山学選書]

マタギに学ぶ登山技術 [ヤマケイ山学選書]

  • 作者: 工藤 隆雄
  • 出版社/メーカー: 山と溪谷社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 新書



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