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『簡潔で心揺さぶる文章作法 SNS時代の自己表現レッスン』 島田 雅彦著 KADOKAWA [文学・評論]


簡潔で心揺さぶる文章作法 SNS時代の自己表現レッスン

簡潔で心揺さぶる文章作法 SNS時代の自己表現レッスン

  • 作者: 島田 雅彦
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/03/29
  • メディア: 単行本



「島田雅彦 文章読本」。大学での講義をまとめたもののようである。章立ては「第1章 短文で綴る前の意識鍛錬」「第2章 私小説で考える自己表現」「第3、4章 短文に挑む準備段階」「第5,6章 短文レッスン」となっていて、創作をめざしての意識形成、自己形成から話しが進められる。まわりの人と同じ意識では、文章を物す意味はない。まずは個を意識し、確立する必要がある。少なくとも、他者に読んでもらうものとなるためには・・・ということらしい。迂遠のようではあるが、事実そのとおりであろう。なにしろ著者は、第一線で活躍する実作者である。そのアドバイスは捨てがたい。ただ、それで、実際に作家になれるかどうかはわからない。

目次

序章
小説作法で短文を学ぶ
ニーチェの短文ツイートスタイル
漱石、谷崎、太宰から話題の芥川賞作家までの表現の変遷
短文の宿命
文章は音読されることを意識せよ

第1章 短文で綴る前の意識鍛錬
私たちが失ったオーラ
インスタグラムに象徴される自己表出
オーラを取り戻したいという衝動
プルースト『失われた時を求めて』の試み
「非リア充」層が紡いだ近代文学
目的を持たない散歩の効用
自己紹介で自己の見解を磨く
意外性を意識して自己表現する
書く行為は他者を慮ること
異質な世界にいる人との対話を心がける
異分野の相手の懐に入り自己表出をグレードアップ

第2章 私小説で考える自己表現
自分を客観視することが出発点
自意識過剰から「無意識過剰」へ
書物は「ロマンス」「告白」「百科全書」「小説」に分類される
自叙伝と私小説の違い
自己の客観視を徹底した夏目漱石の作品
純文学は人身掌握術に長けること
事物・事象の描写力が純文学の真髄
オーラをまとった文章とは
川端康成、古井由吉、宮尾登美子ら美文作家に学ぶ
「ワタクシ小説」が自分らしさを取り戻す

第3章 短文に挑む準備段階
相手の意表をつく自己フレーミング
自分を野菜、動物、金属にたとえる
ガストン・パシュラールの手法
自己のキャラクター化
正義感のある凶悪犯などキャラの開発を
傷つかない自分の発見法
細かいディテールを掘り下げる
五百億円の使い道
ドストエフスキーの対話スタイル
大阪のおばちゃんの噛み合わない対話
見解の乱反射が対話の魅力

第4章 短文に挑む準備段階 その2
予定調和に陥らない起承転結の要点
短文での起承転結のテクニック
メメント・モリ、死を想え
あの世、地獄、天国・・・死のイメージを広げる
「死」から葬儀、葬り方とさらにイメージを膨らます
神話時代の夢が象徴する物語を紡ぐ欲求
夢日記をつけて内なるものを見出す
別の時代や場所に生まれた自分を想像する
求愛は最も身近な短文表現
ラブレターは冗長にならず比喩で勝負
フェティシズムが比喩を進化させてきた

第5章 短文レッスン
システマティックな句作法
アフォリズム的な俳句と情緒的な短歌
旅で詠む訓練を
日記に丸裸の自分を書く
詩は高度な思弁
アフォリズムを自己流にアレンジ
言葉の組み換えに挑む
ナボコフの2言語駄洒落
手書きか、ワープロか

第6章 短文レッスン その2
書き出しの仕掛け
推敲と議論
日本人の複雑な感情表現
人間ウォッチングと散歩
無意識を獲得する方法
自我のリセット
読ませる工夫は風刺を
社会のくびきから自分を解き放て!

島田教授のワンポイント添削
S田M彦の自己フレーミング~あとがきに代えて~



文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

  • 作者: 谷崎 潤一郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1996/02/18
  • メディア: 文庫



文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

  • 作者: 丸谷 才一
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/11/18
  • メディア: 文庫



文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/12/18
  • メディア: 文庫



自家製 文章読本 (新潮文庫)

自家製 文章読本 (新潮文庫)

  • 作者: 井上 ひさし
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1987/04/28
  • メディア: 文庫



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『文豪の朗読 (朝日選書)』 朝日新聞出版 [文学・評論]


文豪の朗読 (朝日選書)

文豪の朗読 (朝日選書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2018/02/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



『朝日新聞』での連載を書籍化したもの。

「文豪」たち(谷崎、井伏、室生、吉川、志賀、佐藤、井上、川端、野上、大佛、開高、海音寺、北、長谷川、武者小路、五木、遠藤、吉行、安岡、小島、倉橋、吉村、水上、有吉、谷川、尾崎、辻井、三島、高橋たか子、安東次男、辻)の録音を聞いての感想と読まれた本文が掲載されている。

感想を記したのは、いとうせいこう、島田雅彦、朝吹真理子、江国香織、奥泉光、本郷和人、山下澄人、角幡唯介、木内昇、佐伯一麦、堀江敏幸、リービ英雄の面々。同じ「文豪」の異なった作品を、異なった評者が評してもいる。その違いを知るのも楽しい。

コンパクト・ディスクが発売される前、レコードの時代に、薄くて赤く透明なペラペラの模造レコードのようなものがあった。ソノシートと呼ばれていた。1960年代に人気を博した雑誌『月刊 朝日ソノラマ』などの付録ソノシートに録音されたものが音源。

割り当てられた自作品を、ただ几帳面に読んだだけのものではない。録音場所が作者の別荘だったりイベント会場だったりして、周囲の音が入り込んでいたり、録音する係りの者との会話や独り言、照れて発した言葉なども入っているらしい。

選び取られた「文豪」の掲載作品をとおして文豪その人に触れることができるし、それを評する作家たちの人柄・資質がその「耳」をとおして逆照射されてもいる。

できれば、実際の音源を聞きたいところ。だが、ネット配信するなどのサービスはないようだ。



文豪の凄い語彙力

文豪の凄い語彙力

  • 作者: 山口 謠司
  • 出版社/メーカー: さくら舎
  • 発売日: 2018/04/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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抜粋『明治の光 内村鑑三』 新保祐司著 藤原書店 から [文学・評論]


明治の光 内村鑑三

明治の光 内村鑑三

  • 作者: 新保 祐司
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 単行本



以下は上記書籍からの抜粋である。

吉本隆明の小林秀雄評を思い出したりしながら読んだ。

日本人病の元祖:夏目漱石(小林秀雄と絡めて)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2007-07-28

****以下、引用****

日本の近代の知識人の多くは、西洋の近代を勉強したにすぎない。それよりは、『新約聖書』を学んだ基督教「信者」はまだましかもしれないが、『旧約聖書』まで思考が届いた人は極めて稀であった。しかし、そこまで届かなければ、西洋の本質を知ることはできないはずであった。 / たしかに、夏目漱石がいったのとは少し違った意味で、日本の近代は「上滑り」であった。内村鑑三あh、『旧約聖書』にさかのぼって、西洋を全身で受けとめたのである。だから、「深い」のである。「浅い」知識人が、今日の日本の状況を云々するのは、もう意味がないのではないか。今、日本は、「深い」言葉を必要としている。(p29、「今、なぜ内村鑑三か」)

バーゼルの旅から戻って、ヴェネツィアの街を再び眺めたとき、(ロラン・)バルトの否定を思い出して、私はヴェネツィアの石造りの広壮な建築物や荘厳な教会がみるみる崩れ去っていくような気がした。 / ということは、キリスト教を西洋の宗教、そのコルプス・クリスチアヌムと一体としてみなしていることは、何か根本的な誤謬なのだということである。そして、ここまで考えてくると、内村の「日本的基督教に就て」という文章(大正13年10月)が、深い意味を持って読まれてくるであろう。(p38「明治百五十年の日本と内村鑑三」)

思えば、精神史という「学問」は、精錬でなくてはならない。不純物と一緒に根源的なエネルギーを無くしてしまってはならない。内村鑑三を、立派な先生にしてはならない。精神史の多くは、この荒々しい精神の持ち主たちを、「去勢」して、分かりやすく整理することをしてきたに過ぎないのではないか。戦後は特に「戦後民主主義」に合うように加工されて来たのである。 / 特に、明治初年に発現された日本人の精神は、強く「義」に貫かれており、現代の日本という「義」の払底した時代に生きる日本人は、それを生々しく思い出さなければならない。そして、そこからは、声が聞こえるであろう。「行くぞオーオ」という声が、明治初年の精神史を読んでいると、時折聞こえてくるこの声を忘れないことによって、日本人は「臓腑」が腐らないことが出来るのである。日本人の「脳」はもう十分に開発され、論じられた。これからの日本人に必要なのは、腐らない「臓腑」ではないか。(2015年10月) (p73「今、何故「明治初年」か 内村鑑三と「志士的ピューリタニズム」)


この「ぶいき」(無意気:鑑三の歌名)は、富岡鉄斎の精神にも決して縁遠いものではない。鉄斎の絵とは、或る意味で「ぶいき」なもので、「いき」な日本画の流れの中で、鉄斎の絵の孤高さは、この「ぶいき」から来るのである。(p171「二 太田垣蓮月」)

矢野玄道が、聖書を「天子必読ノ書ナリ」としているのだから、友人鉄斎も当然読んだものと思われる。鉄斎の有名な言葉「万巻の書を読み、万里の道を徂き、以て画祖をなす」を思い出せば、この「万巻の書」には聖書も入っていたわけである。鉄斎の思想は、儒教・道教・仏教・神道を一丸にしたようなものである、とよくいわれるが、こういういい方はずいぶんいいかげんで手抜きをしたといっていいように思われる。一丸とか、渾然とした、とかいえば格好はつくが、正確ではない。この神道の内実には、キリスト教が入りこんでいたし、一神教的な激しさを持っていた。鉄斎の思想は、たんにごちゃまぜだったのではない。そういう渾然としたものを導くモチーフとしては、平田派の神道があったのである。そして、その平田派の神道とは、一神教的なものに変えられた神道であって、普通いわれる神道ではなかった。(p179「二 太田垣蓮月」)

鉄斎も、「御一新がこんなことでい々のか。」という嘆息を共にしたであろうし、神官を辞めたのも、たんに家庭の事情のためとは思われない。やはり、明治新政府の、文明開化路線、およびそれに伴う平田派などの復古的思想の軽視への反発が、真の理由であろう。このとき、鉄斎ももしかすると(引用者注:「夜明け前」の青山半蔵は発狂したが、)発狂の一歩手前にあったということは、充分ありうる。 / しかし、鉄斎には絵があった。(p182「二 太田垣蓮月」)

(鉄斎の息子:富岡謙蔵と「謙蔵との交友を通して、鉄斎とも親しかった)内藤湖南の京都帝大への奉職は)初代校長狩野享吉の意向であったろう。この狩野享吉という不思議な男がいなければ、この変則的な人事は、いかにすでに湖南の学識の評価が高かったとはいえ、不可能であった。 / 大学時代、夏目漱石と交友し、生涯漱石から敬服された、この異色の合理主義者は、安藤昌益の発見者でもあったが、著作は『狩野享吉遺文集』としてまとめられたものしか、のこさなかった。生涯独身で、京大の学長を辞したあと官につかず数奇な生活を送ったこの唯物論者は、人間の能力を、学歴や肩書きにとらわれず、見抜く眼力の持ち主であった。民間学者として湖南の他に、幸田露伴も、明治41年、2年に招き、露伴は、日本文学史を講じている。(p191「三 内藤湖南」)

湖南も、謙蔵も、そして鉄斎も、鑑三も「独学」の人であった。「独学」が自分勝手な方向へおちこむことなく、それぞれの領域の正統に「相渉る」ことができたのが、「明治の精神」の、あえていえば凄さである。今日では、傍流にすぎない「独学」者が、大学院という学者製造工場で大量生産された、つまらない規格品が、ほとんどであるといっていいだろう。(p196「三 内藤湖南」)

鉄斎は、まず讃を読んでくれ、といっていたそうだが、「現代風」は、「絵の方を見」るのである。それは、身も蓋もない言い方をすれば、大体小林秀雄の世代あたりから、漢文の白文を読めなくなったという事実があるはずである。讃を読もうにも読めないのである。ここに、近代日本における、深い意味での教養の断絶があり、例えば「勤皇思想」などの継承は、言葉の上からも難しい。たしかに、絵に現れた範囲での鉄斎の思想というものが、真に鉄斎の思想といえるものであり、それはまた、鉄斎の「義」についてもいえることだが、「維新伝統の勤王家といふことを除外すれば、鉄斎先生の書も画も無かった」ことの方が大事なことである。/ 小林秀雄の批評が、最終的には「美」の批評であり、「義」の批評の究極にまでは達しなかったことに、その鉄斎論が「現代風」の「かういふ論」の弊を逃れられなかった真因があるだろう。「美か義か、ギリシヤかユダヤか、其選択は人生重大の問題」において、「美」を選んだということである。 / 小林の美術批評ですら、このような問題を持っている。いわんや、今日の凡百の美術評論家のおいておや、である。保田(與重郎)が、「鉄斎先生の書」の中で「今の世間、美術批評もわびしいが、美術研究もさびしくなるばかりである。」といったとおりで、、図像学的研究という、いわば子供の絵解きに興じている今日の美術評論家などは、鉄斎の「美」を論ずることさえおぼつかず、まして鉄斎の「義」とぶつかれる人が果たしているか、はなはだ疑問である。
(p213,4「四 美と義」)


今日の文学の状況をみると、まさに予言的に響く言葉だが、日本の近代文学が「人間解放の文学」であるという規定は、今日の文明的危機の中で、日本の近代文学を振り返るとき、重要なものである。 / 大震災が問い直しを迫る日本の近代化とは、つまるところ「人間の解放」であったということであり、大震災後の日本とは、この「人間の解放」の時代が終わった時代ということに他ならない。 / だから、「人間の解放」の役割を果たした、あるいはその方向に沿った文学の意義は、「必然」的に薄れていくのであって、近代文学の中で「人間の解放」とは違った意味が込められていた文学こそが、今後は高く評価されるようにならなくてはならないであろう。 / この「人間の解放」の文学の中心に存在していたのが、自然主義文学に他ならない。これが、周知の通り日本の近代文学を方向を決定づけたのであり、この自然主義というものは、たんに狭い意味の自然主義文学といわれるものにとどまらず、その後の文学の根底をなすものであった。 / だから、日本の近代文学の見直しということは、自然主義文学隆盛以前のものに注目するということになるが、その際、尾崎紅葉などの硯友社文学を再評価するような試みがなされたことが、過去にあったことが思い出される。しかし、今日の日本の精神的危機の状況にあっては、そのような見直しはほとんど無意味である。硯友社文学には、近代日本における精神的風俗は描かれているかもしれないが、深い精神の劇はないからである。 / そこで、私は、明治20年代、それも日清戦争の頃の日本にあらわれたものに注目していきたいのであるが、中でも内村鑑三のいわゆる「大文学論」をとりあげたいと思う。この鑑三の言説は、近代日本文学を問い直すときに、最も重要なものであろう。 / 「大文学論」とは、普通、「何故に大文学は出ざる乎」と「如何にして大文学を得ん乎」の二つの論文で語られた「大文学」に関する言説のことである。(p223,224「鑑三・ダンテ・白鳥ー内村鑑三の「大文学論」と正宗白鳥」)

・・・しかし、今日の日本で深く受け止めなければならないのは、「何故に大文学は出ざる乎」で挙げられた日本における問題点であろう。まず、この指摘された問題を十分に深く把握しなければ、日本人は「大文学」に対して覚醒しないからである。 / しかし、このような鑑三の言説は、大上段からの批判とか原理的な考えととらえられて、文学にはふさわしくないもののようにあしらわれるのが、常である。今日でもそうであろうし、この鑑三の「大文学論」が発表された当時もそうであった。 / そして、「自然主義文学」という、いわば「小文学」の跋扈となるのであり、それは本質的に今日まで続いている。「人間解放の文学」という、もう消費期限の過ぎたお題目に、文学が縋り付いている限り、「小文学」が商業主義のジャーナリズムの需要に応えて生産され続けるであろう。「余は恐る汝世の終りまで絶叫するとも今日の日本の儘の日本よりは」決して「大文学」は創造されないということである。(p126「鑑三・ダンテ・白鳥ー内村鑑三の「大文学論」と正宗白鳥」)

ダンテが日本向きではないという指摘は、今日の、日本の近代あるいは近代文学を問い直すという問題意識においては、重要なものである。日本の近代は、西洋から学んだとよくいわれるが、これは誤解を招く言い方である。日本は、西洋から日本向きのものを取り入れたに過ぎない。これは、文学に限らず、絵画や音楽についてもいえることであろう。精神史的な面でいえば、キリスト教の受容の仕方に多くの問題を残しているのである。 / 白鳥は、ダンテの『神曲』が、「自伝的」であるにもかかわらず、「自分の子供や妻や兄弟については一言半句も記していない」ことに注目している。そして、その背景に「中世紀の人生観」があるといい、日本の近代文学の主流、自然主義文学と「正反対の文学」を見てとっている。・・(中略、正宗白鳥「ダンテについて」からの引用)・・ / このような白鳥の文章を読んでいると、いわゆる「自然主義文学者」正宗白鳥というレッテルがいかにうわべだけのものかということが改めて分かってくるのであるが、白鳥の精神の奥深い所まで目の届いた評論として、小林秀雄と河上徹太郎との対談「白鳥の精神」をここで、とりあげるべきであろう。白鳥が死の床で、「アーメン」と告白した上で、83歳で死んだのは、昭和37年10月のことであるが、この対談はその後になされた。(p232-234「鑑三・ダンテ・白鳥ー内村鑑三の「大文学論」と正宗白鳥」)

いずれにせよ、鑑三と白鳥という稀有な精神は、ダンテを深く理解できたという点で、近代日本の精神風土を「超越」しているのであり、近代日本文学の問い直しは、鑑三から白鳥へと引かれた線を基軸した視点からなされなければならないであろう。 (2012年3月)(p236「鑑三・ダンテ・白鳥ー内村鑑三の「大文学論」と正宗白鳥」)


漱石的主題

漱石的主題

  • 作者: 吉本 隆明
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 単行本




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『エルドラードの孤児』 ミウトン・ハトゥン著 武田千佳訳 水声社 [文学・評論]


エルドラードの孤児 (ブラジル現代文学コレクション)

エルドラードの孤児 (ブラジル現代文学コレクション)

  • 作者: ミウトン ハトゥン
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2017/11/20
  • メディア: 単行本



著者 ミウトン・ハトゥンは、「賞の蒐集家との異名もと」る「現代のブラジル文学を代表する作家」。

本書(原著2008年発行)は、各国の神話を現代によみがえらせることをコンセプトにした『新・世界の神話シリーズ』(スコットランド、キャノンゲート社)のために依頼され執筆したもの。著者が選んだ神話は「エルドラード」。2015年には、映画化されているという。

著者は巻頭エピグラフとして、カバフィスの「町」という作品を挙げ、次のように記す。「おれは別の土地に行く。ここよりもっといい町を見つける。・・おれが見るところは、おれの視線が届くところはすべて暗黒の廃墟となったおれの人生が見えるだけ」。そして、本書のなかで神話・伝説として取りあげられるイメージは「川底にあるもっといい世界」への期待であり、「川底に住むことを夢見る」こと、である。ブラジルの都市(19世紀の半ばから第二次大戦後にかけてゴム産業で盛衰する)マナウスとパリンチンス(作品中ではヴィラ・ベーラ)が作品の舞台となって、そこでの現実と夢が物語りとして織り成されていく。

その基調となる神話・伝説について語る祖父を思い出しながら著者は(「あとがき」で)次のように記している。「アマゾンの多くの土着民と川岸に住む人々は、昔、川や湖の底には豊かですばらしい町があると信じていたーそしていまも信じているー。社会的な調和と正義の模範があり、人々はそこで魔物として暮らしていると。彼らは水や森の生き物(たいがいはアマゾンカワイルカかスクリ蛇)に誘惑され、川底まで連れていかれ、祈祷師の仲立ちがない限りこの世には戻って来られない。祈祷師の身体や霊が魔法の町まで旅をし、そこの住人と話をして、うまく行けば、再びその人たちをこの世に連れ帰って来られる。 / 祖父は、何時間もその物語をし、私はそれに、その話術と芝居さながらの身振り手振りにひきつけられて聞き入ったのを憶えている。」

また、「謝辞」で、「このフィクションはインディオやインディオの文化に直接触れたものではないが、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・ジ・ カストロのエッセイ『野生の魂の非一貫性』を読んだことは、アマゾンのトゥピナンパ族を理解し、この小説について構想するのに重要だった」と書いている。たぶんその作品は、本書とおなじく水声社から出ている『インディオの気まぐれな魂』のことだろう。

そうした文化人類学的知識・経験を背景に書かれた本書からは、ブラジルの根っこを感じさせられる。ストーリーもミステリアスで上質である。映画化されたということだが、たいへん美しい作品に仕上げられているのではないかと、思う。

本書は「ブラジル現代文学コレクション」の一冊として刊行された、ということである。シリーズとして発行されていくもののようである。大いに期待したい。


インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

  • 作者: エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2015/10/30
  • メディア: 単行本




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『大西巨人と六十五年』 大西美智子著 光文社 [文学・評論]


大西巨人と六十五年

大西巨人と六十五年

  • 作者: 大西美智子
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2017/12/14
  • メディア: 単行本



大西巨人 1916(大正5)年ー2014(平成26)年 に「六十五年」連れ添った夫人による巨人伝。巨人が巨人であるためには、(また、『神聖喜劇』の完成も)伴侶の助けがなければ難しかったにちがいない、そう思わせる書籍だ。

結婚、そして東京移転、子どもたちの誕生とその「血友病」との闘い、「おれにしか書けない小説を必ず書く」という夫との貧乏暮らし、『神聖喜劇』の出版を引き受けてくれた光文社から印税を前借りしながらのかつかつの生活、子どもの結婚、孫、曾孫の誕生、そして、巨人の胃癌、膀胱癌、老衰による入院、80歳を過ぎた妻は両膝に痛みをかかえつつ入院先を見舞う。そして、「長くはないであろうと思われる巨人を、本に囲まれた中で過ごさせたい思い」から、「無謀」と言われた自宅での介護を「宣言」する・・・。

「愛」とはなにかを再考させられる書籍である。煎じつめれば、それは何があっても何が起きても「いつでもいっしょ」ということか・・・。そう、考えたものの、果たして同じ状況下で同じようにできるかどうか・・・。

巨人はくりかえし妻に言い聞かせたという。「何事か生じた時に、その人の真価はわかる。何事かがおこらなければわからない。」。

本書は、人間の真価とはなにかを考えさせられる書籍でもある。


神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

  • 作者: 大西 巨人
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 文庫



歴史の総合者として: 大西巨人未刊行批評集成

歴史の総合者として: 大西巨人未刊行批評集成

  • 作者: 大西 巨人
  • 出版社/メーカー: 幻戯書房
  • 発売日: 2017/11/08
  • メディア: 単行本


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『人間 吉村昭』 柏原 成光著 風濤社 [文学・評論]


人間 吉村昭

人間 吉村昭

  • 作者: 柏原 成光
  • 出版社/メーカー: 風濤社
  • 発売日: 2017/11/22
  • メディア: 単行本



昭和2年生まれの作家 吉村昭の評伝。著者は、第一回太宰治賞を吉村に贈った筑摩書房の元編集者。

著者の執筆動機が、本書の〈おわりに 吉村昭先生と私〉に、次のように記されている。「先生と私のお付き合いは、書き手と編集者として、ごく当たり前の付き合いであったと前に書いた。しかし、私なりに編集者として多くの書き手の方とお付き合いしてきたけれど、退職後、時間がたつにつれ、不思議に次第に吉村先生のことが深く偲ばれるようになってきた。その原因は、先生の作品を多く読むうちに、先生が母親の『世間様に御迷惑をかけぬように・・・」という言葉に象徴される平凡な生活をよしとする心を持っていたことへの、人間としての共感であり、一方で文学の本質を求めてフィクションとノンフィクションの枠を越えた創作活動に専心した非凡さへの畏敬の念が深まってきたからであったと思う。そういう中で『吉村昭研究会』という会の存在を知り、縁あって講演をしたり、機関誌『吉村昭研究』に文章を寄せたりすることになった。それを切っ掛けとして、この本をまとめようという気になったのである」。

その執筆の方法に関しては、「(吉村昭との)貧しい個人的な思い出に頼るのではなく、氏が書き残された多くの著作物から、氏の声を再構成するのが、私にできる最もよい方法である、と考え」、残されたエッセイを整理するという方法で、吉村昭の生の姿に少しでも近づけたら、と思う」と〈はじめに 風貌について〉に記されてある。

吉村昭のエッセイをとおして、その両親・兄弟、同人雑誌・仲間、文壇、出版社、編集者、取材先、家族(特に妻であり作家の津村節子)の様子を知ると同時に、拾い上げられた吉村の「声」をとおして、吉村の「人間」があぶりだされていく。読者は、「平凡」で「非凡」なその「生の姿」を見ることができる。

目次

はじめに 風貌について 

第1部 その歩み 世に出るまでを中心に
1 父の教え・母の教え 少年時代
2 戦禍と病い 思春期
3 同人雑誌時代 青年期
4 ついに世に出る 「星への旅」と「戦艦武蔵」の成功
5 作家の道を確立
6 吉村昭と筑摩書房

第2部 さまざまな顔 
7 妻・津村節子について
8 読書と趣味と酒と
9 その庶民性
10その女性観
11その戦争観と死生観

おわりに 吉村先生と私


戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)

戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫



戦艦武蔵 (新潮文庫)

戦艦武蔵 (新潮文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/11
  • メディア: 文庫


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『小島信夫の文法』 青木健著 水声社 [文学・評論]


小島信夫の文法

小島信夫の文法

  • 作者: 青木 健
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2017/11/25
  • メディア: 単行本



1955年 『アメリカン・スクール』で第32回芥川賞を、1965年 『抱擁家族』で第1回谷崎潤一郎賞を受賞した小島信夫。本書は、一時期その編集者として接し、後に「小島信夫賞」の運営や選考にも係わり、「小島さんの10年余りの晩年、近くで濃密な時間を過ご」した詩人で作家でもある青木健による小島信夫とその作品に関する評論、エッセイを集成したもの。1995年から2017年までに新聞や文芸誌等に発表したもの。

評者は小島信夫のよい読者ではない。実のところ代表作の『抱擁家族』も読んではいない。それでも、森敦が『月山』を書きあぐねていたころ、『抱擁家族』の下読みをし、小島になんども書き直しを命じ、それに小島がへこたれずに応じた話、『抱擁家族』というタイトルそのものも森の提案であることなどを森富子著『森敦との対話』で読んでいた。また、保坂和志が小島とたいへん親しくしていたことも聞いていた。そんな関係で本書を手にした。

本書の内容は、目次に沿えば〈『抱擁家族』をめぐって〉から始まり、〈四十年後の『抱擁家族』 小島信夫×青木健〉という対談で終わる。はじめからずっと目をとおし対談を読むに至って、『抱擁家族』において小島は、自分の家族関係をモデルとして、アメリカナイズされていく日本での家族のあり方を考えていたのだな、それを終生追いかけたのだなと思った。また、いわゆる「私小説」ではないものの、モデルとなった個人にとっては、(もちろん著者自身もそうだが)たいへん犠牲をともなうものであることを知った。血が流されなければ犠牲ではない。多くの犠牲のうちに成った『抱擁家族』は、それゆえ今日でも十分読むに値する小説であるように直観する。

本書のタイトル『小島信夫の文法』は、小島信夫の文章作法に関するものだ。小島は基本的に「文芸の話題以外興味を示さ」ない人物だったようである。少なくとも著者の知るかぎりそうであったようだ。独り言のようによく言ったことは「一体、小説というのは何なんだろうね」だそうである。

以下、小島の文法についての記述をいくらか引用してみる。〈小島信夫ほど「解決する」ことに価値を置かなかった作家はいない。いつも、「現在」を問いつづけ、「問い」に対しては「答え」ではなく、新たな「問い」を、千石(英世)の用語を借りれば「複層」させることで自身の小説のスタイルを築きつづけた作家だった。〉 / 〈「君自身にとって解決済みのことは書く必要も意味もない。君自身にとっていつまでも謎であることだけを書きたまえ」・・・私の耳朶で生前の小島さんの声音が蘇える。〉

襟を正して小島作品に当たるよう促される書籍だ。


【目次】
Ⅰ 『抱擁家族』をめぐって //Ⅱ 小島信夫の文法 ( 小島信夫の文法 / 「階段のあがりはな」について/ 未完の相貌/ 『抱擁家族』の時代 / 小島批評の魅力/ 小説の鏡としての演劇/ コジマの前にコジマなく…… / 小島信夫さんを悼む/ 裸の私を生誕させる文学)// Ⅲ 謎の人 ( 小島さんの「初心」/ 物語るということ / 追悼文の恐さ/ 笑顔の不在 / 小島さんの詩心 / 謎の人 / 『一寸さきは闇』の頃 / 小島さんの戦争体験 / 愛の記憶 / 小島信夫の思い出)// Ⅳ 四十年後の『抱擁家族』 小島信夫×青木健 / あとがき

小島信夫(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E4%BF%A1%E5%A4%AB


抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 小島 信夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/01/27
  • メディア: 文庫



アメリカン・スクール (新潮文庫)

アメリカン・スクール (新潮文庫)

  • 作者: 小島 信夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/06/27
  • メディア: 文庫



小島信夫批評集成〈8〉漱石を読む

小島信夫批評集成〈8〉漱石を読む

  • 作者: 小島 信夫
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2010/10
  • メディア: 単行本




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『あらゆる文士は娼婦である』石橋 正孝・倉方健作著 白水社 [文学・評論]


あらゆる文士は娼婦である:19世紀フランスの出版人と作家たち

あらゆる文士は娼婦である:19世紀フランスの出版人と作家たち

  • 作者: 石橋 正孝
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2016/10/15
  • メディア: 単行本



本書は、百花繚乱のフランス19世紀文学界の名だたる作家たちを「娼婦」にたとえ、そのパトロンである男たち(つまり、文学史上ふつう脇役である出版社)に光をあてて、それを軸にして当時の作家たち、その交友関係、文学を描き出そうとしたもの。プロローグには《第二帝政から第三共和政へと社会が揺れ動くなかで次第に拡大する出版活動と文学の場に、さまざまな方向から光をあてることを試みた》と記されている。第二帝政は、バルザックが死去(1850)した翌年、ルイ=ナポレオン・ボナパルトのクーデターによって始まる。ビクトル・ユゴーはその弾圧を逃れ、ブリュッセルに亡命する。扱われる時期はそのあたりからである。

紹介される出版社は、日本の「岩波」「角川」のように、個人名を冠されている。エッツェル、ラクロワ、シャルパンティエ、フラマリオン、ルメール、ヴァニエなどである。彼ら、書店創業者たちは書店員からのたたき上げもいれば、家柄よく高等教育を受けたものもいる。もっぱら売り上げを気にするものもいれば、芸術性の高い作品を上梓することを念頭におく者もいる。しかし、いずれにしろ、自分の囲った「娼婦」ともども社会的に上昇することを彼らは願っていた。

最初に、ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の独占的出版権をめぐる争奪戦が紹介される。そのために「未熟練労働者が四世紀かけても稼げない金額」30万フランが動いたという。さだめし、ユゴーは、コーラ・パールなみの高級娼婦(クルチザンヌ)といえよう。それにくらべ、ヴェルレーヌは、パトロンであるヴェニエに「殺される」。私娼のような最期を迎える。うまく立ち回ったのはゾラである。パトロンを替えながら、生き延びていく。他の「娼婦」たち、フローベル、ボードレール、アナトール・フランス、マラルメの記述も興味深い。

有名なユゴーの「世界一短い手紙」のやりとり、「?」「!」についての記述もそうだが、いかにも事実であるかのように語られる「逸話」が成立するための条件をあれこれ論じていく仕方も興味深い。ふたりの著者の執筆よって本書は成る(1,2章石橋、プロローグ、3、4章倉方、エピローグ・年表は共同)が、全体の論述に一貫性をつよく感じるのは、パトロン(編集者)が優秀であるということか・・。


レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)

レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)

  • 作者: ヴィクトル ユーゴー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2003/09/09
  • メディア: 文庫



ナナ (新潮文庫)

ナナ (新潮文庫)

  • 作者: ゾラ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12/20
  • メディア: 文庫



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『ラテンアメリカ文学入門』 寺尾 隆吉著 中公新書 [文学・評論]


ラテンアメリカ文学入門 - ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで (中公新書)

ラテンアメリカ文学入門 - ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで (中公新書)

  • 作者: 寺尾 隆吉
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/10/19
  • メディア: 新書



ラテンアメリカ文学の昨今の諸事情を鑑み、《「文学史本」の執筆に向けて、機は熟しつつあ》ると感じていたところに、中公新書への執筆依頼があり、それは「渡りに船」であったと著者は『あとがき』に記している。一読者として、まさに、熟した果実を手にすることができたのは幸いである。

著者は《作品の紹介や作家の基本情報を並べて初心者向けの文学案内を作ることではなく、具体的な作品に即して約100年にわたるラテンアメリカ小説の流れを捉え、初心者から専門家まで、幅広い読者層に読み応えのある議論を打ち出すことにあった》と執筆目的を述べる。そうして《喜び勇んで取り組んでみると、期待どおりやりがいのある仕事であ・・った》と記す。

《「新書」という形態を考慮してもっとも悩んだのは、「何を書くか」ではなく、「何を書かないか」、その判断だった》。書くことに満ち溢れていたのであろう。そうした中から、残したもの、残されたものが本書である。ラテンアメリカ文学といっても、取り上げられているのはもっぱら「小説」である。どのように人々の間に受容されていったのか、どのような時代背景でか、芸術的なものから娯楽性の高いものへの変化と読者層・出版社との関係、著者同士の関係など、その論議は興味深い。残すべきを峻別しつつ書き進めたその文章は、たいへんスピード感あふれるもので、ほれぼれしながら読んだ。

著者は、《本書で書きつくせなかった部分に関しては、今後いっそう研究を深め、場を改めて発表することになるだろう》と記している。大いに期待したいところだ。巻末には、年表、外国語文献、本書で言及された作品のうち、邦訳のあるもののリストがあり、100冊ほど紹介されている。
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『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』 都甲幸治ほか 立東舎 [文学・評論]


世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今 (立東舎)

世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今 (立東舎)

  • 作者: 都甲 幸治
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



本書は、8大文学賞ガイドであり、各賞を受賞した作家・作品についての識者による鼎談をとおして、現代小説を読み解こうというもの。持ち寄った受賞作品についてのレベルの高い濃密な論議から成る。作家の出自・背景から、作品あらすじ、連想される類似の作品などに話が及ぶ。物語る際の「視点」、「描写」、記憶の処理などの創作上の話もでる。いわゆる「裏話」あり、食べる話あり、ポストコロニアルだのクレオールだの少々むずかしい言葉もでるが、たのしく読める。本書をとおし、評者の思いにおける各賞の重要度、注目度、相対的位置関係が変わった。

以下に、各賞ごとに取り上げられている作品と鼎談者たちのいう「今後受賞して欲しい人」の名をかかげる。実際には、各賞3作品だけでなく、はるかに多くの作品が取り上げられていて、それらも併せて読んでみようという気にさせられる。本書をブックガイドとして、多方面の読書をこれから愉しむことができそうである。評者は、そのような思いをつよく持つだけに、索引が用意されていないのを残念に思う。人名/作品名・索引をぜひ備えてほしいところ。

ノーベル文学賞=アリス・マンロー『小説のように』(新潮社)/ オルハン・パムク『僕の違和感』(早川書房)/ V・S・ナイポール『ミゲル・ストリート』(岩波書店)、『ビスワスさんの家』(未訳) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=多和田葉子、ジョイス・キャロル・オーツ、ボブ・ディラン、グギ・ワ・ジオンゴ、クリスティーナ・ステッド、イスマイル・カダレ

芥川賞=黒田夏子『abさんご』(文春文庫)/ 小野正嗣『九年前の祈り』(講談社)目取真俊「水滴」(『赤い椰子の葉』収録、影書房) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=温又柔、上田岳弘、崔実、木下古栗、いしいしんじ、青木淳悟

直木賞=東山彰良『流』(講談社)船戸与一『虹の谷の五月』(集英社文庫)、車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=成井昭人、万城目学、馳星周、深緑野分

ブッカー賞=ジョン・バンヴィル『海に帰る日』(新潮社)/ マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』(早川書房)/ ヒラリー・マンテル『ウルフ・ホール』(早川書房) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、トマス・ピンチョン、ゼイディー・スミス、コルム・トビーン、イアン・マキューアン、アンソニー・ドーア

ゴンクール賞=マルグリット・デュラス『愛人』(河出文庫)/ ミシェル・ウエルベック『地図と領土』(ちくま書房)/ パトリック・モディアノ『暗いブティック通り』(白水社) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=ローラン・ビネ、ティエリー・ジョンケ、ローラン・モヴィニエ

ピュリツァー賞=ジュンバ・ラヒリ『停電の夜に』/ スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夜』(白水Uブックス)/ エドワード・P・ジョーンズ『地図になかった世界』(白水社) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=アレクサンドル・ヘモン、ダニエル・アラルコン、カレン・ラッセル

カフカ賞=フィリップ・ロス『プロット・アゲインスト・アメリカ』(集英社)/ 閻連科『愉楽』(河出書房新社)/ エドゥアルド・メンドサ『グルブ消息不明』(東宣出版) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=町田康、オルガ・トカルチュク、リュドミラ・ウリツカヤ、セサル・アイラ

エルサレム賞=J・M・クッツェー『恥辱』(ハヤカワepi文庫)/ イアン・マキューアン『未成年』(新潮社)、『贖罪』(新潮文庫)/ イスマイル・カダレ『夢宮殿』(創元ライブラリー) 三人が選ぶ今後受賞して欲しい人=ヴィクトル・ペレーヴィン、多和田葉子、ジョナサン・フランゼン、イーユン・リー、ジュンパ・ラヒリ、エトガル・ケレット


読んで、訳して、語り合う。都甲幸治対談集​ (立東舎)

読んで、訳して、語り合う。都甲幸治対談集​ (立東舎)

  • 作者: 都甲 幸治
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2015/10/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



きっとあなたは、あの本が好き。連想でつながる読書ガイド (立東舎)

きっとあなたは、あの本が好き。連想でつながる読書ガイド (立東舎)

  • 作者: 都甲 幸治
  • 出版社/メーカー: リットーミュージック
  • 発売日: 2016/01/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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