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『人を見る目 (新潮新書)』 保阪 正康著 [エッセイ]


人を見る目 (新潮新書)

人を見る目 (新潮新書)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/04/13
  • メディア: 新書



著者の読書の守備範囲の広さを実感できる本だ。

ギリシャのアリストテレスと同時代の人テオプラストスは人間の性格を30に分けて、当時の人間のありのままの姿を描く。著者は「この書(『人さまざま』)に触れたとき、2400年という時間は一気に縮まり、人間はまったく変わらないのだなと感動した。そして昭和史に限らず近代日本を見ていて、権力者を中心に演じられる百態は、まさに『人さまざま』と思ったものだ」と書く。

いわば、本書は、テオプラストスに倣って、著者の見聞きした『人さまざま』を記した本だ。と、同時に、間もなく80歳になる著者の人生観(時間観、歴史観、人間観・・・)を自ずと反映して、「人生かくあるべし」という著者の願いを示していると言っていいだろう。(もっとも、模範とすべきでない例の方が多いのではあるが・・)。


主に登場する「人」は、昭和の人々、戦時中・戦後のどさくさを生きた方々が多いのだが、最近では、「しみったれ / 哲学や思想なき打算」の項で、元都知事の舛添要一氏、「空とぼけ / 人を騙す手法の罪」の項で、現首相の安倍晋三氏、「人の操もかくてこそ / 一人になっても、見事に生きる」の項で、著述家の西部邁氏が取り上げられている。

第二次世界大戦時、主要国が用いた戦費の比率は、アメリカ:6に対して日本:1であったこと、孫文の訪問を断った南方熊楠の逸話、中江兆民の長男:丑吉の「精神」、清水の次郎長の晩年の生き方などなど、興味深い話題に尽きない。

最後に著者『あとがき』から抜粋。「本書を通じてそれぞれの世代なりに、時代に生きる人間の素顔を受け止めてもらいたいと思う。私たちはそれぞれの時代という舞台で、80年、90年、自らの役を演じきって亡くなっていくのである。せめてその間だけでも、充足感を味わいつつ、自らの役を演じきってみようじゃないか、と思う。」


人さまざま (岩波文庫 青 609-1)

人さまざま (岩波文庫 青 609-1)

  • 作者: テオプラストス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2003/04/16
  • メディア: 文庫


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『老楽力』 外山 滋比古著 展望社 [エッセイ]


老楽力

老楽力

  • 作者: 外山 滋比古
  • 出版社/メーカー: 展望社
  • 発売日: 2012/05
  • メディア: 単行本



元気のでる本だ。外山先生、83歳のときの発行だ。

ご自身を「根本実当」と称して、三人称扱いで書いている。

83といえば、押しも押されもせぬ立派なご老人である。その先生の元気の秘訣が出ている。それは「お山の大将」元気法ともいうべき方策である。

発行年は、2006年。思えば、それ以降に書かれた『雑談のセレンディピティ』やら『思考力』やらを想起させる内容が盛り込まれている。それらを読んだ方は、あえて読むまでもないかもしれない。

瓢水なる人物の「浜までは海女も蓑着る時雨かな」、岸信介の「ころぶな カゼひくな 義理を欠け」や リズ・カーペンター女史、サミュエル・ウルマン、佐藤一斎らの言葉をめぐるエッセイには、本書の基調をなす考えが示されている。

先生のエッセイは、真率である。ユーモアもある。ときに、笑いをもよおす。実際に笑えるエッセイは貴重である。

**(以下、上記書籍からの引用)**

このごろ若い人たちが、よく

「元気をもらった」

というのを、根元実当はにがにがしく思っている。元気はもともと、もらったりするものではなく、出す、ものだと彼はいう。出すには、まず元気をつくらなくてはいけないともいうのである。

もともと、中国の昔、万物生成のもとの精気ということであった。すべてのものの元は元気というわけである。後になって、その活動による生々した状態、体でいえば健康なことを元気というようになった。その気を病むのが病気というわけだ。

マラソンを見ていて、熱くなり、乗り出したくなるようなとき、「元気をもらった」というのは、いかにも慾深で、あさましい。ランナーが元気を出して走っているのは、見物に、元気を与えるためではない。見ている人間が勝手にもらったといっても、ちゃっかり頂戴したのにすぎない。くれたから、もらったのではない。

元気は自分の力で出すものだ。

出すには、元気がなくてはいけない。人間、はじめから元気があるのではなく、努力して元気をつくり出す。もちろんもらった元気は借りもので、本ものではない。

どうしたら元気をつくり出すことができるのか。生き生きと働き、仕事をし、なにごとも力いっぱいで励むーーそういう生活の中から元気が出てくる。モーターが動いて電気がおこるのに似ていなくもない。じっとなにもしないでいては元気は出ない。とにかく活発に動くことである。規則正しい生活も元気のもとになる。不健康な生活では元気は出にくく病気になりやすい。

ただ動きまわるのではなく、目標をもって、そこへ向かって進んでいく。夢をもって、その達成に我を忘れて夢中になっていると、おのずから活力がわいてくる。体も頭も使ってやらないと、だんだん、衰えてきて、力を失う廃用性萎縮ということがある。年をとった人が二十日も寝たきりの生活をしていると、脚の筋肉が落ちてしまって歩けなくなる、というようなものが廃用性萎縮である。元気はその反対、つまり、どんどん活動することによって生まれる、活力である。

後略

(「元気」から)




乱談のセレンディピティ

乱談のセレンディピティ

  • 作者: 外山 滋比古
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2016/06/02
  • メディア: 単行本



思考力

思考力

  • 作者: 外山 滋比古
  • 出版社/メーカー: さくら舎
  • 発売日: 2013/08/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



闘いつづける力: 現役50年、「神の手」を持つ脳外科医の終わらない挑戦

闘いつづける力: 現役50年、「神の手」を持つ脳外科医の終わらない挑戦

  • 作者: 福島 孝徳
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2018/01/31
  • メディア: 単行本



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『記憶の海辺 ― 一つの同時代史』 池内紀著 青土社 [エッセイ]


記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

記憶の海辺 ― 一つの同時代史 ―

  • 作者: 池内紀
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/12/01
  • メディア: 単行本



「同時代史」という体裁を用いた半自叙伝。体裁をもちいたというと「テイサイがイイ」が、著者の「韜晦」的な性格を示しているのではないか。本書中、著者が好意を示している人物たちをみると、皆ほとんどが「中央」に鎮座ましますような人物ではなく、片隅に、あるいは「辺境」に居ることを愛するような人物たちだ。そして、それでいながら、普通のレベルを超えた教養の持ち主であり、しかも並外れた諷刺気質のために、同時代からはみでてしまうような人たちばかりだ。カール・クラウスしかり、ペーター・アルテンベルクしかり、小林太市郎しかり・・・。

だから、体裁どおりに受け取ってはいけない。著者は、自分の歩んできた人生とその時代(日本だけでなくヨーロッパも視野に入れて)を語りながら、実は、当代をするどく批判している。第一次世界大戦前・後のウィーンについて語りながら、その視野には今日の世界も入っているはずだ。「仮借のない文明批評家」であったカール・クラウスや「自伝を玉ねぎの皮むきにたとえて、沈黙の過去を素材に、現代メディア社会の皮むきをした」ギュンター・グラスも著者の念頭にはあるだろう。しかし、その矛先はうまく隠されている。

池内さんのことはNHK-FM『日曜喫茶室』の常連さんのお一人として認知した。今回、はじめてその著作にふれた。背伸びをすることなく、ひとりの人間として誠実に、自分の人生を大切にしてこられたご様子を本書から知ることができた。そうする中で、信頼できる関係がうまれる。友人たちは、氏に次の道を開いてくれたりもする。お説教はひと言もないが、自分の人生を大切にするよう促される。

ゲーテ、カフカ、カール・クラウスについての記述など、文学愛好家にとっては、目の覚める話にちがいない。(本書中、「生身の」マックス・ブロートを見、聴講した話、レニ・リーフェンシュタールをおぶった話、ギュンター・グラスとグラスをかたむけた話など興味深いエピソードが盛られているが)、先の三者についての記述は、文学観の変更をせまる内容もあり、それはまた、著者の創作裏話ともなっていて、それらもまた興味深い。

巻末にある、氏の日常も味わいがある。「当人の話」と「夫人の話」の双方から、氏の生活が浮き彫りになる。氏は平凡な日常のおわりに言う。「トシをとっても、三年先にどんなものをつくれるか、たとえかすかであれ、自分の可能性に賭けていなくては、生きている意味がないのです」。見かけは平凡でも、志しは高い・・・。

本書同様の繰りかえし読みたくなる滋味あふれる著作を期待したい。


すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる

すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる

  • 作者: 池内 紀
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
  • 発売日: 2017/08/11
  • メディア: 単行本




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ドイツ文学者でエッセイストである方の自伝のような本から [エッセイ]

今、読んでいる本から、以下に引用してみたい。ドイツ文学者でエッセイストである方の自伝のような本だ。その方は、ウィーン留学時の経験を興味深く記している。

しばらく前に、天才を輩出した都市をとりあげた『世界天才紀行』という本を読んだ。その本では、ウィーンに2章を当てていた。たしかに凄い面々が出ているのである。
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-12-23-1

いま、それを思い出しつつ読んでいるところ。

(以下、引用)

同じ生年だから同時代に生きたとはかぎらない。それを同窓でむつみ合うのは、ぬくろみの残ったトイレに腰を下ろすような不快感がある。11

学校では民主主義をおそわったが、まわりの社会では戦前からの制度と習わしがゆるぎなく支配していた。30

当時ゲーテなど眼中になかった。それは叔父のような旧制高校出の時代遅れの知識人にふさわしい、古色蒼然とした古典作家にすぎなかった。71

1967年、はじめて私はウィーンへ行った。オーストリア政府奨学金という制度があって、運よくそれにありついた。・・・ウィーン大学の窓口で、奨学生は授業に出なくてはならないのかとたずねると、窓口係の若い男は肩をすくめた。それから、「お好きなように」と言った。・・・それで安心して、授業には出ないことにした。知りたければ本を読めばいい。考えるためには頭がある。せっかく遠い異国の古都に来て、古ぼけた大学の机にしられていることはない。81

後日、私は友人に、その男のことをたずねた。、ウィーン・フィルのメンバーで、・・・エッセイの名手で、新聞に匿名で書いている。本はない。書く楽しみが満たされればそれで十分、「なんぞおのが恥を千載にのこそうぞ」とか。友人はつけ加えた。 / 「この手の変わり者は、ウィーンにどっさりいるね」90

図書館の常連たちであって、おおかたが白髪の老人だった。一般にヨーロッパにはアカデミズムとは一線を画して民間学者の伝統があるが、名を知れば、それにつらなる人たちだったと思われる。101

日本を立つ前、若気のいたりで薄っぺらな詩集を詩集専門の出版社から出していた。・・・あとになって恥じらいのあまり、一冊のこらず処分した。108

(フラウ・ブロノルドは)その能力からして、もっと広い世界で華やかに活躍できる人なのに、貧乏な詩人や作家の面倒をみる小さな組織で苦労していた。111

そのころ(エリアス・)カネッティを知ったばかりで、典型的な辺境の子の異質性に呆然とする思いだった。・・・文学にかぎらず、何らかの新しい思想や試み、また新しい人間タイプは、おおかたの場合、辺境からきたのではあるまいか。116

饒舌が、そして饒舌のみが幅をきかせる20世紀に、みごとな沈黙のスタイルを商品化した。この現代にあっては、沈黙のスタイルほど雄弁なものはないことを、よく知っていたからにちがいない・・・。138

小林太市郎はたぐいまれな学者だった。にもかかわらず、ほとんどといっていいほど知られていない。 / この解説者によると、小林太市郎は「一種の自己韜晦者」であって、晩年には神戸の大学に職を奉じたが、教授会には一度も出てこなかった。134

諷刺の歴史をつづってみてもつまらない。やたらに名前と作品名が並ぶだけで、そんなものを誰が読みたいと思うだろう。たとえ古典ギリシアや中世にさかのぼるとしても、とりあげた対象が何らかのかたちで現代とかかわりをもたなければ意味がない。162

シーザー暗殺事件のあと、キケロは気にして訊ねたという。巷の喜劇役者がこの事件をいかにとりあげ、民衆がそれにどのような反応を示しているか。このエピソードはいかにもキケロの鋭敏な政治的本能を伝えている。あきらかに彼は政敵よりも民衆を恐れた。笑いにこめられたエネルギーが、いつ何どき行動に転化するかもしれないことをよく知っていた。163

カリカチュアによる諷刺は見えないものを見せるわけではない。ちゃんと見えているのに、人が見ようとしないものを見せるものだ。166

ペーター・アルテンベルク 市民社会の落ちこぼれだったが、かたわら、ともてステキな散文を書いた・・カメラマンがスナップ写真を撮るようにして印象深いシーンを目の底にやきつけ・・ありあわせの紙にそそくさと書きとめた。 / そんなペーターのポケットからくしゃくしゃの紙を取り出し、新聞社や雑誌社に持ち込むのが、若いエゴン・フリーデルの役目だった。のちに浩瀚な『近代文学史』を著した文明史家で、ウィーン大学卒の大読書家。彼もまた畸人の一人といえただろう。・・ウィーンの世紀末をいろどったディレッタントの一人である。181

世紀転換期のウィーンに、おびただしい才能が輩出した。さまざまな分野にわたり、特異な個性がひしめいている。それは奇怪なながめですらあるだろう。183

ウィーンの世紀末における才能の輩出には、東洋の島国から見るとお伽噺のような、およそケタ外れの多言語国家と多言語人間が介在している。187

文明は爛熟すると、異種変種を生み出してくるものだ。「中心」の人物たちはまた、その身にひそかな「辺境」をかかえていたようなのだ。カール・クラウスは仮借のない文明批評家であると同時に、おそろしく達者な俳優であって、シェーンベルクは・・・、ホフマンスタールは・・・、ヴィトゲンシュタインは・・・188

カール・クラウスはこう言いさえした。「言葉遊びから思想が生まれる」227

クラウスによれば、ジャーナリズムこと、この大戦をひき起こし、四年余の長きにわたって引きのばした張本人だった。232



人類最期の日々[普及版](上)

人類最期の日々[普及版](上)

  • 作者: カール・クラウス
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



人類最期の日々[普及版](下)

人類最期の日々[普及版](下)

  • 作者: カール クラウス
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本




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『多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)』 平凡社 [エッセイ]


多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)

多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/12/10
  • メディア: 単行本



STANDARD BOOKSは、「科学と文学の双方を横断する知性を持った科学者・作家を1人1冊で紹介する随筆シリーズ」。これまでも、岡潔、牧野富太郎など発行されてきた。多田富雄は、科学者(免疫学者)であると同時に、「能楽」にたいへん造詣が深かった。それゆえ、STANDARD BOOKSシリーズに、取りあげられるに足る人物である。

多田の刊行物としては、藤原書店から『多田富雄コレクション』(全5巻)が出ているが、本書にはそのエッセンスが収められているといっていいのだろう。評者は、はじめて本書で多田の著作に触れる機会を得たが、大学時代「能楽堂にいりびたり」「ひどく人生に悩んで」「かけもちで一日二ヵ所のお能を見たこともあった」人物、しかも後に「鼓方大蔵流の達人の稽古を受けるようになった」方ならではの、能楽評(舞台、鼓、面など)を知ることができる。本書収録の「能を観る」には、観能に出かけ、客席に座をしめ、シテ方の出を待つあいだから終演に至るまでのことが、たいへん魅力的に記されている。実際、これは見にいかねばなるまい、と思わせるだけの力がある。記す本人が、それだけの魅力を実感していなければ到底書けない文章である。

『能』への多田の関心は、専門の医学や社会事象にも反映されている。「能」が死や「亡心(亡霊)」と深くかかわるように、本来「生」を取りあつかい「死が否定されていた医学生物学の世界」にあって、多田の死への(それはつまり「生」への、と即言いかえることができるが)眼差しは深い。その点、「アポトーシス」に関する論議は興味深い。〈アポトーシスは、外力によって細胞が殺されるのではなくて、細胞が自ら持っている死のプログラムを発動させて死滅していく自壊作用による死である。「自死」というような訳語もしばしば見られる。〉と説明したのち、具体例などあげながら、結びで次のように述べる。〈したがって、細胞の利他的な死があったからといって、集団の中での個人の生死や、組織の中での人間の生き方に安易に投影してはいけない。そこには、もっと上の階層の問題としての哲学的な死の概念があり、それは下の階層である細胞の死と同じ平面では扱えない。(「死は進化する」)〉。そのことは、別のエッセイ(「超システムの生と死」)で、平明にこう論じられる。〈同様に、細胞のアポトーシスに見られたルールを個体の生命にまで広げて、ことに人間社会における適者と不適者の選別に投影するなどというのは、生命の階層性を無視した論理である。会社組織において一握りのエリートは以外は、不況下では脱落してゆけばよいなどという論理は、科学の仮面を被った愚かな俗論である。〉

本書では、多田がスペイン、軍政下のミャンマー、イタリアを訪問したときの経験・考察も記されている。それもまた、興味深い。

(以下目次) 科学者の野狐禅 / 手の中の生と死 / 人間の眼と虫の眼 / 甲虫の多様性、抗体の多様性 / 風邪の引き方講座 // ファジーな自己(行為としての生体) / 超(スーパー)システムの生と死 / 死は進化する // 能を観る / キメラの肖像 / 記憶を持つ身体 / 里のカミがやってくる / 面を打つ / 裏の裏 / 春の鼓 // からだの声をきく / ビルマの鳥の木 / ゲノムの日常 / インコンビニエンス・ストア / 鳴らない楽器 / 日本人とコイアイの間 / 老いの入舞 // オール・ザ・サッドン / 新しい人の目覚め / 理想の死に方 // 生命と科学と美 (理科が嫌いな中学生の君へ) // 著者略歴 / もっと多田富雄を知りたい人のためのブックガイド


『牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)』 平凡社
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-09-28
牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 牧野 富太郎
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 単行本



日髙敏隆 ネコの時間 (STANDARD BOOKS)

日髙敏隆 ネコの時間 (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 日〓 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/10/13
  • メディア: 単行本


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抜粋 『 H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』 ミシェル・ウエルベック著  [エッセイ]


H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って

H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って

  • 作者: ミシェル・ウエルベック
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: 単行本



ラヴクラフトの“成熟した”達成の数々は、これまでミシェル・ウエルベックがなしたように正当な評価を与えられたことは一度もなかった、ということである。あなたがすでにラヴクラフトの全作品を読んでいるなら、『世界と人生に抗って」はラヴクラフトその人に立ち戻るように促し、彼をあらたな光の下で見させるだろうし、あなたがプロヴィデンスの「暗き王子」に初めて行き合うのであれば、これ以上に高揚させる刺激的な道を開いてくれるものはないだろう。24(スティーヴン・キング「ラヴクラフトの枕」)


怪奇幻想作家(そのなかでももっとも偉大な作家のひとり)である彼は、人種主義を容赦なくその本質的な源泉、そのもっとも深い源泉に連れ戻す。それはすなわち“恐怖”である。彼の人生は、まさにその実例となっている。みずからのアングロサクソン出自の優越性を確信する地方のジェントルマンとしての彼は、ほかの人種に対しては、ある種の距離を置いた軽蔑しか感じていなかった。だが、ニューヨークの下層区域に滞在したことが、すべてを変えることになる。あの異質な連中は、“競争相手”に、隣人に、そして、恐らく暴力の場では優位に立つ敵になるのだ。まさにそのとき、マゾヒズムと恐怖からなる錯乱が昂じるなかで、殺戮への呼びかけがやってくるのである。32

(ラヴクラフトの文体)彼の文章は、実際ただただ誇張や錯乱のなかで展開する、というわけではない。そこには時に、極めて稀有なある種の鋭敏さ、明晰な深さといったものがある。そこには次のような段落が見いだされるー「省略」-わたしたちが立ち会っているのは、感覚的認識の極度の鋭敏さが、いまにも世界の哲学的認識への反転を引き起こそうかという瞬間である。言い換えれば、わたしたちは詩の只中にいるのである。34「序」


「ラヴクラフトの真価を認めるためには、おそらく幾多の辛酸を嘗めていなければならない・・・」ジャック・ベルジュ 39

人生は苦しみと失望に満ちているものだ。したがって、あらたなリアリズム小説を書くことは無益である。現実一般についてなら、わたしたちはすでに、どれくらいのところで我慢すればいいかを知っているし、人生についてそれ以上を学ぼうという気にはほとんどなれない。人間そのものからして、わたしたちにはもはや大した好奇心を抱かせることはない。驚くべき繊細さを帯びたあの「描写」の数々、「場面」、逸話の数々・・・これらすべては、ひとたび本を閉じてしまえば、すでに「現実の人生」のある一日に充分に味わわされた軽い嫌悪感を思い出させるばかりだ。 / ここで、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの言うことに耳を傾けてみよう 「わたしは人間と世界に飽き果ててしまったので、一頁に少なくとも二件の殺人を織り込んだり、あるいは地球外空間からやってくる名状し難い恐怖の数々を論じたりすること以外には、何も関心をもつことができないのだ」。 / ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890~1937)。 / わたしたちは、あらゆる形態の現実主義(リアリズム)にたいする、至高の解毒剤を必要としている。// 人は人生を愛しているときには読書はしない。それに、映画館にだってほとんど行かない。何と言われようとも、芸術の世界への入り口は多かれ少なかれ、人生に“少しばかりうんざりしている”人たちのために用意されているのである。 / ラヴクラフトの場合は、“少しばかりうんざりしている”、というのを少々超えていた。1908年、18歳のとき、「神経衰弱」なるものの餌食となって無気力状態に陥り、それが10年余り続くことになる。・・彼は家に閉じこもり、母以外とは話もせず、昼間はずっと起床することを拒み、一晩中、寝間着でうろつくのだ。 / おまけに、物を書くことすらしなかった。 / 何をしていたのか?たぶん読書を。だがそれも確かではない。・・・40

ラヴクラフトはといえば、自分がそんな世界(大人の世界とその価値観)とは何の関係もないっことを知っている。そして、いつも敗者を演じ続けている。理論においても実践においても、彼は少年時代を失くし、同じく信仰も失くしたのだ。彼は世界に嫌悪感を抱き、“もっとよく見れば”物事は別の姿を見せるかもしれないなどとは思ってもみなかった。宗教については、知識の進歩によって時代遅れになった「甘い幻想」に等しいと見なす。例外的に機嫌がよい時期には、宗教を信仰することの「魔法の輪」について語ることにはなる。しかしそれは、結局自分には入ることが許されないと感じていた輪なのだ。 / あらゆる人間の渇望すべての絶対的な無意味さにここまで侵食され、骨まで刺し貫かれた人間は、きわめて稀だろう。43

人生に倦み疲れた心にとって、ラヴクラフトを読むことが逆説的な慰めとなるのがなぜなのかはよくわかる。実際、どんな理由であれ人生のあらゆる様態にたいして本物の嫌悪を抱くにいたったすべての人に、ラヴクラフトを読むよう勧めることができる。初めて読んだときに引き起こされる神経の動揺は、場合によっては相当なものだ。一人でニヤニヤしたり、オペレッタの曲を口ずさんだりもする。実存への眼差しが変わるのだ。 / ジャック・ベルジュによってこのウイルスがフランスに持ち込まれて以来、読者数の拡大は電撃的だった。大部分の感染者と同様、わたしもHPLを16歳の時、ある「友達」を介して知ることになった。まさに衝撃そのものだった。文学にそんなことができるとは知らなかった。その一方で、いまだに本当にそうだとは納得していない。“実のところは、文学ではない”なにかがラヴクラフトにはある。48

実のところ、普遍的な射程をもった唯一の指示は、1922年2月8日付で・・に宛てられた一通の手紙に見いだされる・・・/ 「わたしは物語を努めて書こうとすることは決してありません。そうではなくて、ある物語が書かれることが“必要になるとき”まで待つのです。一篇の短編を書こうとして意図的に仕事に取りかかる場合、結果は平板で、質の低いものとなります」。69

彼はまさに自力で次の発見に至ったものと思われる。すなわち、科学的語彙の使用は詩的想像力にとって途方もない刺激となりうる、ということだ。正確で、微に入り細を穿ち、同時に理論的な背景に富んだ内容、すなわち百科事典のそれは、錯乱的かつ陶酔的な効果を創りだすのである。122

「褐色の面貌をした個体は、どちらかというと爬虫類的な特徴を示しており、シュー音を伴った母音省略と素早い子音連続で自己表現していたが、それは原始アッカド語のいくつかの方言を思わせるものだった」124

トポロジー(位相幾何学)の詩的な力を予感したのは彼が最初だったし、形式論理体系の不完全性についてのゲーデルの仕事に震撼したことにおいてもしかりである。なにやら胸の悪くなるような含意をもつ奇妙な公理系は、おそらくクトゥルフ神話の中心を構成する、謎に満ちた存在たちの出現のために必要だったのだろう。125

最後期の物語群においてHPLが用いている科学的観察の報告書の文体は、次のような原則に対応している“描写される出来事や存在が途方もないものであればあるほど、描写は正確で冷静なものなるだろう”、ということだ。131

今日から見れば、ラヴクラフトはいつにも増して不適応者であり隠者であるのかもしれない。1890年生まれの彼は、若い頃にすでに同時代人から時代遅れの反動と見なされていた。彼が生きていたなら、今日のわたしたちの社会について何を考えたのかは想像に難くない。彼の死後、社会は彼がますます嫌悪しただろう方向に進化してゆくことをやめなかった。機械化と近代化は、彼が全身全霊をもって愛着を抱いていたあの生活様式を、避けがたく破壊してきた(しかも、彼は人間が諸事象を統御する可能性についてはいささかの幻想も抱いてはいない。ある手紙に書かれているように、「この現代社会のすべては、蒸気と電気エネルギーの大規模な応用方法を発見したことの、絶対的かつ直接的な帰結以外の何ものでもない」)。彼が忌み嫌っていた自由と民主主義の観念は、地球全体に広まった。「わたしたちが嫌悪するもの、それは単に変化そのものだ」と言い放った人間にとっては身の毛もよだつものに他ならなかったはずの進歩観は、ほとんど無意識的な自明の信条になった。リベラルな資本主義はあらゆる人々の意識にまで支配を拡大してきた。その歩みとともに、拝金主義、広告、経済効率性への不条理でシニカルな崇拝、物質的な富への排他的かつ節度なき欲望が生まれてきた。さらに悪いことに、自由主義は経済的領域から性的領域にまで拡大してきた。感傷的なフィクションはすべて、木っ端みじんになった。純粋さ、純潔、貞節、慎みは、嗤うべき烙印となった。ひとりの人間の価値は、今日ではその経済力と性愛のポテンシャルによって測られるーすなわち、まさにラヴクラフトが、もっとも強く嫌悪していた二つの物によって、である。 / 怪奇幻想作家というものは一般的に反動的だが、それはごく単純な話で、彼らがとりわけ、あるいは言ってみれば“職業的に”、〈悪〉の存在に意識的だからである。ラヴクラフトの多くの弟子の誰一人として次の単純な事実に着目していないことはかなり不思議である。つまり、現代社会の進歩が、ラヴクラフト的な恐怖症をいっそう存在感のある、いっそう“生々しい”ものにしてきたという事実である。


ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

  • 作者: H・P・ラヴクラフト
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1974/12/13
  • メディア: 文庫




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『 H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』 ミシェル・ウエルベック著 国書刊行会 [エッセイ]


H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って

H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って

  • 作者: ミシェル・ウエルベック
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2017/11/24
  • メディア: 単行本



本書は「20世紀という時代は、・・おそらく叙事詩的な怪奇幻想文学の黄金時代として記憶されるだろう。そもそも、ハワード、ラヴクラフト、トールキンの出現を許した時代である」と著者の述べるうちのひとりH・P・ラヴクラフト(1890年~1937年)に関するエセーであり、著者の「最初に出した本」。

著者のウエルベックのプロフィールを見ると、「世界で最もセンセーショナルな作家の一人」と紹介されている。だが、評者は、著者もその作品も知らない。ラヴクラフトの名前は聞いた覚えがあるが、本書ではじめて、その人物と作品、またその創作技法について知ることとなった。

本書によると、ラヴクラフトは、清教徒的な(ただし、その希望を共有することなく、世俗への拒絶を共有する)ジェントルマンであったようである。その文学から“生活”は排除されていたようだ。カネや性は論外のものであったらしい。自分の作品が世間で受け入れられることにもさほど関心がなく、結婚も女性側のアプローチを受け入れてしたものの、それも破綻するという生活力のない人物であったらしい。しかし、それは見ようによってそう見えるというだけで、より積極的な見方をとるなら、本書副題にあるように「世界と人生に抗って」いたということにもなる。面白いことに、ラブクラフトの「傑作群」は(結婚が破綻するなどして)「人生が終わったところから始ま」った、とある。

著者の執筆の動機はなんだろう。自分の敬愛する作家の略伝と作品の魅力を書くことで、ラヴクラフトから決別・独立しあらたな独自の作品世界を構築していこうとの思いがあったのだろうか。ラヴクラフトが取った「世界と人生に抗」うに際しての手法、その「攻撃技術」を言語化し、自分のものとしようとしたのだろうか。いずれにしろ、本書はラヴクラフトその人とその創作の方法・あり方、さらにはその代表作を知る良い案内書となっている。

以下、目次

「ラヴクラフトの枕」スティーヴン・キング // 序 // 第1部 もう一つの世界 (儀礼としての文学) // 第2部 攻撃の技術 (晴れやかな自殺のように物語を始めよ / 臆することなく人生に大いなる否(ノン)を宣告せよ / そのとき、大伽藍の偉容が見えるだろう / そしてあなたの五感、いわく言い難い錯乱のベクトルは完全な狂気の図式を描きだすだろう / それは時間の名づけ難い構造のなかに迷い込むだろう) // 第3部 ホロコースト (反伝記 / ニューヨークの衝撃 / 人種的憎悪 / わたしたちはハワード・フィリップス・ラヴクラフトから魂を生贄にするすべをいかに学ぶことができるのか / 世界と人生に抗って) // 読書案内 訳者あとがき


ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
ウィキペディアから
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88



地図と領土 (ちくま文庫)

地図と領土 (ちくま文庫)

  • 作者: ミシェル ウエルベック
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2015/10/07
  • メディア: 文庫



クトゥルーの呼び声 (星海社FICTIONS)

クトゥルーの呼び声 (星海社FICTIONS)

  • 作者: H.P.ラヴクラフト
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/11/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




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『骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く』 養老 孟司著 新潮社 [エッセイ]


骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く

骸骨考:イタリア・ポルトガル・フランスを歩く

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



1937年にお生まれの養老先生は、アンデルセンの『赤い靴』をはいた少女がダンスを止められなくなったように、骸骨になるまで本を書き続ける運命にあるもよう。出版社、編集者に担ぎ出されて、このたびはヨーロッパの骸骨をめぐる旅。

冒頭はこう始まる。《中欧のお墓を巡礼して、その連載記録がまとまった(『身体巡礼 ドイツ・オーストリア・チェコ編』新潮文庫)。今度は南欧である。どうしてこんなこと、始めちゃったのかなあ。自分でもよくわからない。人生と同じで、旅はひたすら続く》。

先生の論議は、動きが速い。その論理は飛ぶ。少なくとも評者にはそう思える。飛躍する論理にとまどいつついると、先生は「つまり・・」「だから・・」と結語し、障害物を難なく飛び越える。ところが評者は、飛躍についていけず、壁にドンと衝突する。しかし、それでウラミが生じるかというと、それが小気味いいときている。こまったものだ。論理についてはいけないが、直観的に(妥当かどうかは分からないものの、すくなくとも)障害物を越えるために論理の橋をわたす労苦に値するように思えるのだ。だから、読んでいくと、ビートたけし扮する土建屋のオヤジに、「バカヤロ、このこの」と小突かれている気分になる。

そんなこんなで、「どうしてこんなこと、始めちゃったのかなあ」の思いを引っさげながらの旅のなかで、先生は昔を思い出し、現在を見わたし、昆虫のことなど取り上げながら、「意識」「情報」「言葉」「主語Ⅰ 」「戦争」「自由」のことなどに思いをめぐらす。「研究費申請」「小保方晴子氏」「ユリアヌス帝に追われたアタナシウス」」「脳死」などなどの話題もでる。

そして、最後にはちゃっかりと「どうしてこんなこと始めちゃったのかなあ」の謎をみずから解く。《(お墓や骨は)「言葉にならないもの」、現代風にいうなら「情報化され得ない」ものに対する、儚い憧憬が表されているのであろう。つまり自分は若いころから同じ主題を追い続けている。そう気づいて、自分で驚く(「あとがき」)》と書く。

読んでいくとナルホド、取り上げられているのは、先生がNHKラジオの『文化講演』などで、よく話題にしていることである。そういうことであれば、読む必要もなかろうと思いもするが、「儚い憧憬が表されているので“あろう”」と先生自身書いている。断言はしていない。つまりは、さらに『骸骨考』は深められる余地がある。まあ、考えを深めるのは先生にお任せするとして、こちらは、「バカヤロ」と小突かれたいために、また読むのだろうな・・・。


運のつき 死からはじめる逆向き人生論

運のつき 死からはじめる逆向き人生論

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2004/03/18
  • メディア: 単行本



上記書籍の新版は以下

養老孟司の人生論

養老孟司の人生論

  • 作者: 養老孟司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 新書



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『探検家、40歳の事情』角幡 唯介著  文藝春秋 [エッセイ]


探検家、40歳の事情 (Sports graphic Number books)

探検家、40歳の事情 (Sports graphic Number books)

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: 単行本



著者は、本格的なノンフィクション作品ではできないことを本書で披瀝している。小市民的生活を記述できないことは、「けっこうストレス」なのだという。

「私の探検という非日常は日常があることによってはじめて支えられているのに、ベースとなる日常を切断して非日常だけを際立たせて、あたかも英雄的な行為として描いてみせても、それは片手落ちなのではないかという思いが常にあるからだ。そこで私はエッセイでこの日常の部分をチラチラとほのめかすことで、作品間のバランスをとっている。じつは私、こんなにイケナイ人間なのです、と(『あとがき』)」。

著者は、自分のイケナイ部分を本書に記す。たいへん正直である。すでに「時効」とはいえ、そこまで書いてイイの!というのもある。JRに聞かせたなら、さっそく対応策が講じられる内容だ。それで、赤字が解消するかどうかは知らないが・・・。多くは、軽妙に語られていくが、いのちに関する重い記述もある。

著者の行くところ、向かうところ、それはすぐに文化人類学的記述になる。イヌイットの生活、文化、極北の動物等について知ることができるのも本書の醍醐味だ。

書き下ろしは「忘れ物列伝」「生肉と黒いツァンパ」「原始人のニオイ」「人間とイヌ」「マラリア青春記」。あとは、既出掲載作品。


漂流

漂流

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: 単行本


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